2006年08月24日

実存主義

実存主義

それに対して、社会的な問題よりも個としての人間の姿を深く見つめ、個としていかに生きるかをとことん考えるという派もあった。そのなかには、ニーチェ以来の伝統を引き継いで、「神は死んだ」「人間が頼りに出来るような、同時に人間を縛るような、神のようなものは何もない」ことを前提に、いわばこの宇宙の中に意味なく投げ出されてしまい、どう生きたらいいのか、自分で決めるしかない、そういう状況におかれている自分の生き方が問題なのだ、といったサルトルを代表とする非宗教的な実存主義者がおり、また伝統的なキリスト教がいうような神話的なものではないが、やはりある種の超越者とか神は存在するし、体験できるというふうな、ヤスパースやマルセルのようなキリスト教寄りの実存主義者、キリスト教をそう解釈するティリッヒやブルトマンなどの実存主義的神学者もいたし、さらに<存在者>の根底に<存在>そのものを問うていったハイデッガー、虚無の徹底から絶対無の体験=悟りそして慈悲という方向を持った、仏教的・禅的な実存主義的哲学者がいた。
posted by tetugaku at 11:16| Comment(0) | TrackBack(1) | 日本人の思想 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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